スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生きるということ。

生きる。

ということはどういうことなのだろう?そう考えることは少なからずあると思う。

ある辞書で生きるという意味を調べてみた。

人間や動物などが、生命があり活動できる状態にある。生命を保つ。生存する。

ということで植物は生きているわけではなさそうです。

・・・・・ぇ~っとまぁそれが言いたいわけではありません。

自分なりになぜ自分が生きているのか。そう考えた結果。

わかりませんでした。

あえて答えを言うとするならば、わからないことがわかったということです。

正直そんなことどうでもいい。今が楽しければ。そう考えれる人は俺と違っていいことなのかもしれません。

どんなに考えても、どんなに悩んでも、結局わからないわけです。

例えば、大工さんが「俺は家を建てるために生まれてきた。」

結構です。

先生が「わたしは優秀な子供を育てるために生まれてきた。」

結構です。

ガリ勉が「勉強最高~~~。」

ご勝手に。

しかしこの例をあげても、やはりそれは自分なりの解釈なだけであって自分に本当にあってるかどうかはわかりません。

何か才能を測る機械でもあれば、わかるかもしれませんが。

しかし、それでも才能を開花できたとして、自分の意思がその才能に反している場合それは良いといえるのでしょうか?

自分の好きなことと自分の才能が一致する必要があるわけです。

また例えですが、有名な音楽家たちは精神病によって亡くなることもあります。それに貧乏生活をして頑張った音楽家もいます。亡くなってからヒットした音楽家もいます。

いくら後人が褒め称えても亡くなっていては仕方が無いと思います。

才能と好きなことがあって、そこで初めて、私はこのために生まれてきたんだ。と実感できるわけです。

才能と言うものは生まれたときから持っているものだと思います。

好きなこと、好きなものは日々移り変わっていくもので、どんなものを見て、どんなことをしたかにとって変わっていくと思います。

生まれたときに機械に入れて、才能を発見し、それにあうように育てていけばすべての人は才能を開花できると思います。

しかし、これはあくまで妄想の世界。実際に才能を測る機械があることはまず無いでしょう。運がよければ最高の人生を選べるかもしれません。

話は少し変わりますが。

これからは未来についてです。

未来は変わる。

朝ごはんにパンを食べたとする。小さいパンだったので、すぐに食べて会社に向かった。

そして会社の机を9時27分36秒開くとドラえもんが出てきたとする。

そしてその人はドラえもんを使いこなし、大金持ちになった。

このときドラえもんは9時27分36秒に開かれた机の中でもっとも早かった机に出ることにしていたとすると、

もし朝ごはんがご飯で、1分ほど遅くに会社に行っていれば、もちろんドラえもんはでることは無く、そのまま普通の人生を送っていただろう。

               パン→ドラえもんにあえる
このときの選択肢を単純に書くと
               ご飯→ドラえもんにあえない。

つまりこの人にはこのとき二通りの大きく違う未来があったわけだ。

仮にこの人が明日ご飯を食べようと思っていたにもかかわらず、パンを食べたとしたら、これは未来が変わったというのだろうか?

いや。もともとパンを食べ、ドラえもんにあい、大金持ちになるのが未来であって、ご飯を食べ、普通の人生を送ることはただの想像でしかないわけだ。

つまりこの人がどうしようが、どうなろうが、変更された未来、またはそのままの未来。それが本来の未来なわけだ。

ようするに未来は変わるのではなくその選択肢の奥にあるもの。すなわち未来は変わらない。といえると思う。

これら二つのことを考えて次の文を読んでいただきたい。

学校に行ったから、先生になりたいと思った。ということでは学校に行ったことが将来の夢を決めるのに必須になった思う。

過去の経験や記憶から将来の夢を決める。それは当たり前なことだとおもう。

逆に何も無いところに生きるというのであれば、もちろん食べ物や飲み物がないので死ぬことは免れないが、それはあえて無視して、人間の動物的な動作。つまり食べる、寝るなどのこと以外をすることは難しいと思う。

地面に絵を描く。地面というかけるものが無い。かけるものがあるとするならば自分の体だけである。

まぁせいぜいできたとしても吼えるだけではないかと思う。

言いたいのは「人が生きる道にはたくさんの人やものがあると思う。」

当たり前だろう。と思う人もいると思う。

その通り当たり前だと思う。

道ですれ違う人たちは何の意味も無い。そう思うと思う。

しかしすれ違う人たちがもし誰もいないとするならば、とても怖いと思う。

一人すれ違わなかっただけなら(その一人が人生を左右するほどのもので無い場合)どうってことは無いと思う。

でもそのすれ違わなかったひとはどこかで何かをしている。その何かが自分に少しでも変化をさせることであるのならば、そのすれ違わなかった人は自分の人生のパズルの中の1ピースになるのかもしれない。

そして一人一人が自分の人生に少しずつ、少しずつ影響をあたえていくんだと思う。
スポンサーサイト

| ホーム |


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。